吉田ジョージの吉田屋帝国

個人事業主・気象予報士・ミニマリスト・整理収納アドバイザー・オフィスキイワード所属タレント 吉田ジョージの公式ブログ。ありがた迷惑な吉田の仕事情報や【人】【物】【所】【文】【俺】にこだわったエンターテイメント・コンテンツ盛りだくさん。

愛染蔵(あぜくら)の不採用という決断に感謝。

振り返って、実はあの時の迷いと決断が正しかったと思いたい、今は思える。とはいえ、最初の決断は向こうに委ねたことでもあった。

私は大学時の就職活動においてはアナウンサー受験のみに挑んだ。結果、全敗だったが、受かる方が圧倒的に少数なのだから、悲観はなかった。むしろ、数人まで残れたり、最終面接まで進めたりしたことを誇らしく思ったほどだ。

大学卒業と同時にアナウンスレッスンを受けていた現事務所にフリーアナウンサーとして所属し、30歳を過ぎた頃の話だ。約20年前になる。

ようやくアルバイトを辞めることができ、レギュラー番組や週末のイベントMC、披露宴司会などでスケジュールは埋まっていた。しかし、当時のUHF局やケーブルテレビ局、コミュニティFM局のギャランティーはかなり寂しいものだった。漠然と将来への不安を感じ、喋ることは得意なのだからと営業職に転職を計った。

履歴書を書き3社へ応募。まだインターネットを駆使できず圧倒的情報不足の中、テレビCMで馴染みのある会社を選んだ。

結果から言えば、全滅。まあ、内1社は面接を自らキャンセルしたが。

面接を受けた1社が、「あぜ~くら~♪」のCMソングで有名な(関西では)呉服販売の愛染蔵(あぜくら)だった。すでに倒産しているので実名で書く。


愛ZECRA cm

後年、悪徳展示会商法で告発され、その後(2006年)に破産倒産した会社だ。同年、社長は飛び降り自殺をしている。

ja.m.wikinews.org

ja.wikinews.org

そんな会社にさえ採用されることのない自分。当時は落ち込んだが、不思議とすぐに切り替えることが出来た。

「私には今やっている仕事しかできないのだ。売れなくたって良い、マイクにしがみついて生きていこう」

不採用にされたおかげで覚悟が決まったのだ。

f:id:jjyy:20190605182222j:plain

その後、私は一念発起して新たな決断をする。国家資格の気象予報士を取得するための猛勉強を始めたのだ。2年後の2003年に合格。まだ愛染蔵の倒産前ではある。現在に至るまで、テレビ大阪や東海テレビにて気象キャスターを務めている。

インターネットに膨大な情報溢れる今、検索すると過去の愛染蔵の様々な悪業が流布している。顧客を展示会に監禁し、買うまで帰さない。支払い能力を超えるような高額商品をその場でクレジット決済させる。営業社員の年間ノルマは5000万円。上司からのパワハラ。3カ月間の山ごもり新人研修。ひえ~。

shingoozisann.blog.shinobi.jp

PCを前に私は震えた。あの頃、本気で迷い、転職活動をし、不採用の憂き目に合い、気象予報士の勉強という次の決断をした。

そして、あの時、不採用という決断をしてくれた愛染蔵には感謝しかない。あり~がと~♪(あぜ~くら~♪のメロディーでレクイエム)。(2019.6.5)

Copyright©George Yoshida.All rights reserved.