取材日は2019年9月21日(土)・22日(日)。
東海テレビさんから台風15号の爪痕残る千葉県館山市の取材依頼を受けた時に、急ではあったが断るという選択はなかった。自分と無関係な地であれば、ボランティアで行くわけでもないのに被災地の惨状を伝えることに抵抗があっただろう。今の故郷館山の状況を目に焼き付けることは大切なことに思えた。そして、東海地方の皆さんにテレビを通して館山の被災状況を伝えることにも意義があるだろうと考えたのだ。
2019年台風15号は9月9日(月)午前5時前に強い勢力で千葉市付近に上陸し、記録的暴風をもたらした。千葉市で最大瞬間風速57.5m/s、館山市では48.8m/sを観測。千葉市は観測史上1位の値だ。館山市では1979年に50.0m/sを観測しているので2位の値。私が9歳の頃の記録を更新したことになる。
倒木や暴風による大規模な停電や断水が発生した。9日(月)朝は交通機関への影響が甚大な中、何とか職場に向かおうとする人達の姿に大きな違和感も感じた。
発災直後の停電は93万戸を超えた。電力会社の当初の見通しを大幅に超えて、復旧には約3週間を要した。未だ停電が続く所もあるようだ。
館山の実家は停電3日間と被害は少なかったが、真夏日の3日間、クーラーも使えず、夜は暗闇、さぞ不安だったろう。こちらから連絡しようにも固定電話や携帯電話も繋がらない状況だった。
大工の父には連日ひっきりなしに屋根修繕依頼の電話が鳴っていた。職人の数も足らず、瓦などの建築資材も全く足りていないので応急処置のブルーシート掛けくらいしかできないとのこと。父に同行した。
北条(ほうじょう)のお宅の屋根にブルーシートを掛ける父。素人が屋根に登って落下する事案や、粗悪な作業で高額な請求をする業者などもあるようだ。屋根の上のブルーシートが飛ばないようにと土嚢で重しをするのだが、これを何往復もして屋根に乗せる作業の過酷なこと。父は気付けば72歳だ。
父の取引先の被害状況を許可を得て撮影させてもらった。
北条海岸に面するこちらの会社は壁や窓が落ち、解体するしかない状態だという。
海岸沿いは常日頃、海風に晒されて、鉄骨が腐食し、今回の暴風で崩落したと考えられる。街中の倒れた道路標識は全て根元が腐食していた。
3階にはまだ窓ガラスが残り、これが落下すれば二次災害も起こりうる。
学生時代は嫌なことがあれば海を見て癒された。
西岬(にしざき)の別荘地でも大きな被害が確認された。こちらも許可を得ての撮影。
見晴らしの良い高台だ。海からの暴風が直接吹き付けた。
窓ガラス破損。
壁には瓦が飛んで来た痕跡が。今回、夜間の暴風だったが、これが日中で、人に当たったらどんなことになるか。
デッキの支柱がない。
エアコンの室外機にも多数の傷跡。
フェンスも折れ曲がった。
隣人宅のこれは何かといえば、屋上に設置したジャグジーの風呂桶が逆さまに落下した物。
布良(めら)はさらに深刻な被害を受けていた。
ブルーシートの掛かっていない家屋が見当たらない。
屋根が無ければ安心して暮らせるはずもない。
束の間、猫に癒される。君は台風のさなかどこにいたのか。
災害ゴミが集められている。処理は全く追い付かない。
瓦や植木鉢。
畳。
漁港の柱も折れたまま。
こちらのお父さんの電動カートには「がんばろう!!布良」のステッカーが。停電は1週間続いたそうだ。思えばこれも電気が無いと動かない。
布良崎神社も酷い状況だった。
大木が根ごと倒れていた。
本殿も傾いて、お神輿が4基全て潰されてしまったという。
当たり前にあるものが失われる怖さ。屋根、電気、ガス、水道、電話、インターネット。当たり前が失われた時に備えることも大事だと痛感。
それが電気なら、家族全員分の懐中電灯、乾電池、スマホ充電器、常温保存できる食糧、乾電池式ラジオなど。
魚介の美味しい観光地館山。館山ふるさと大使としては、まだ営業再開できていない施設も多いが、館山市民は明るくおおらかな性格、どんどん遊びに来て欲しい。それが助けになる。
よろしくお願い致します。
また正月に帰ります。(2019.9.28)