カクヨム
十五
「実家に帰ってたやんか。私昼寝しててん。ふと目が覚めたら私の股間にお父さんの顔があってん」
「はっ、どういうこと?」
「私が起き上がるとすぐに部屋を出て行ったんやけど、そういえば高校時代も、意味もなく添い寝してくることがあってん。今となってはそれが父親としてではなく男としての悪ふざけのように思えるねん」
果たして、二七歳(凪は誕生日を迎えていた)の娘が昼寝の最中に股間に顔面を埋める父親という人間が存在するのだろうか。僕は頭が真っ白になった。
「ふざけるな!そんなことが許されるのか」
僕は凪の父に発作的に電話していた。
「もしもし、お父さん、とも言いたくないんですけど、娘の股に顔を当てるとは何の企みですか?」
「はあ、三規生くん、唐突に何のことだい?」
「あなたがしたことを問い質しているのです。娘に、本当の娘でないからといって性欲が湧くのか?そんな汚いことってあるのか」
「とにかく、何を言っているのかさっぱりわからないのだよ」
白を切り続ける凪の育ての父に対して激しい憎悪を覚えた。そのまま電話を切り、凪に言い放った。
「俺、明日お前の父親を殺しに行く」
凪は僕に抱きついて、泣き続けた。二人はほとんど眠れぬまま翌朝を迎えることになる。
陰鬱な気持ちとは裏腹に空の高い所で鰯が戯れる初冬の晴天。僕は凪とともに足取り重く凪の実家を訪ねた。
座卓で茶を啜りながら、やはり知らぬ存ぜぬの養父に、僕は渾身の延髄切りを見舞った。生身の人間、しかも後頭部に手加減(正確には足加減だが)なく蹴りを打ち込んだのは人生初めての経験だった。
養父はその一撃の矢庭に脳震盪を起こしたかのように白目を剥き小刻みに揺れたが、何とか意識を保ち、反撃するでも反論するでもなく僕に虚ろな眼光を送っていた。
否応ない自身の身体の震えと、自身の足の甲の感触への嫌悪感、養父の視界から一刻も早く消え去りたいとの思いから、僕は「凪、帰るぞ」と虚勢を張った。
JRに乗り込むまで互いに無言だったが、最後尾車両のボックス席に座るなり凪が笑いだした。
「なんだよ」
「チャラチャラチャラチャー」凪がサイモン&ガーファンクルの有名な悲しいメロディーを滑稽に片仮名で口ずさんだ。
「こないだいっしょにレンタルした『卒業』のラストシーンみたいやなって思って」
「確かにあれ全然ハッピーエンドじゃなかったな」
「まあ、あっちはバス、こっちは電車やけど」
「それにしても、笑える状況か!」
ひとしきり笑い合った後、徹夜と決闘の疲れから、互いに身を寄せ合い、車内で深い眠りについた。
ふと目が覚めて、僕の肩にちょこんと頭を乗せ無邪気な可愛らしい凪の寝顔を見ながら、「これからも凪といっしょに、二千万あれば何とかなるか」と不謹慎なことを考えもしたが、その薄い皮膜はミルフィーユのように幾重にも積み重なって、石灰岩のように凝り固まり、もう後戻り出来ない程になっていることに気付いた。