吉田ジョージの吉田屋帝国

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吉田ジョージ作 恋愛青春小説『風凪(かざなぎ)』十七

カクヨム

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十七

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 凪が買ったばかりのお気に入り洋楽CD。オルタナティブロックというジャンルで括られたベックというアーティストのニューアルバムだ。僕も一聴して気に入ったので出勤前の朝、「ラジオで掛けたいからCD貸して」と凪に懇願すると無下にも「嫌や」と断られた。「今日の夜には返すから」と半ば強引に借りて出た。

 軽快なオープニングテーマをバックに番組タイトルが流れる。ガラス越しのサブ室からディレクターがキューを出す。僕はカフスイッチを上げて喋り始める。

「はいっ、今週も始まりました。『ミッキーの高温多湿放送』今週も季節感を無視して暑苦しくお送りして参ります。ロークでもマウスでもない方のミッキーこと上村三規生です。ちょっと聞いて欲しいんだけど、こないだ東京の弟の一人暮らしの部屋に遊びに行ったの。六歳下だから、今、二十一歳の大学生。そしたら、部屋の洗面所に大きな空き缶、業務用のソースみたいなやつね、があって、そこに使い古した色んな色の歯ブラシが花束のようにこんもりあるのよ。そんで、弟にこれは何だと聞いたわけ。さてはお前、色んな女の子が泊まりに来て、いちいち歯ブラシの処理や説明が面倒臭いからこんなことになってるのかと。そしたら、弟こう言いました。あのな、お兄ちゃん、歯ブラシって燃えるゴミ、燃えないゴミ、どっち?そこっ?お前、エコロジストかっ!そんな理由かと。変わった弟ですが、いい奴なんです」

 自分で自分の話にひとしきり笑ってから、「ではオープニングチューン、最近ハマってるアメリカのオルタナティブシーンで異彩を放つアーティスト、ベックのニューアルバムから◯◯です」

 だいぶん慣れてきた二時間の生放送後に、放送作家の山本Jからこんなことを言われた。

「ミッキーさん、今日もめちゃめちゃおもろかったです。ややこしいから広まる前に勝手に処分しましたけど、変なファックス来てましたよ。『ミキオサンアタシノカラダガモクテキダッタノ?』って書いてましたわ。ほんまに気ぃ付けてくださいよー」

 いつものようにスタッフや共演者らと生放送後に軽く酒を飲んでから帰宅。チャイムを鳴らしても、内鍵を開けてくれる様子はない。仕方なく自分の鍵を使い、ドアを開けた。膝から崩れ落ちるとはこういうことかと数秒後に身を持って知ることになる。

 家具が、冷蔵庫が、テーブルが、椅子が、ない。初めは部屋を間違えたのかと思った。でも、今しがた自らの手でこの部屋の鍵を開けたはずだ。確かに短いながらも凪と住み慣れた僕らの部屋の匂いがする。

 凪の荷物や凪の買った家具、家電は根こそぎなく(凪は元々あった僕の家具や家電を処分して自分好みの物に買い替えていた)、僕の持ち物だけが残っていた。見慣れたはずの部屋の中、見慣れたはずの調度品が、歯抜けになって存在していた。

 そこにはいつもの人懐っこい笑顔で居るはずの凪の姿も当然ない。僕は二、三時間、立てずにその場に突っ伏した。泣いてはいない。僕は呟いた。

「これじゃ、CD返せないだろうが」

 何日も何度も凪の携帯に発信し続けたが凪が電話に出ることは一度もなかった。別れることに異存があるわけではない。自分勝手ながら、こんな別れ方を望んでいなかっただけだ。現にいっしょに生活することは楽しかったのだから。

 ふと、財布の中にあるコンサートチケットのことを思い出した。僕が凪の誕生日にプレゼントしたベックのチケットだ。二枚購入し、すでに凪の分は当人に渡してある。大好きなミュージシャンのコンサートをすっぽかす人なんてそうそういないだろうと希望的観測。席は隣り合わせだし、その場で凪に会えるはずだ。まだ数週間先だが、互いに心身をクールダウンするには良い期間に思えた。その日に会って色々話せば良い、そう楽観的に考えた。

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