フミコフミオ『神・文章術 圧倒的な世界観で多くの人を魅了する』KADOKAWA
私は1999年の7月から現在のブログに繋がるHP「吉田屋帝国」を運営している。年に1本しか記事を書けなかった頃もあるが、自分にとって「書くこと」は好きなことだった。ブログをキッカケにライター仕事を得たり、出版にも繋がったが、突き抜けた感がない。要はブレイクしない。世間から求められてる感が薄い。
果たして同年代トップブロガーのフミコフミオさんはどのような思考で文章を書いているのかを知りたくて著書『神・文章術 圧倒的な世界観で多くの人を魅了する』KADOKAWAを購入し、読了。
『書き捨て』メソッド
期待通り、文章の技術論ではなかった。どちらかというと根性論にも通ずる。氏の提唱する唯一無二のメソッドが『書き捨て』。とにかく書いては捨てる泥臭い作業。ぼんやりとした事象も自分の言葉にして書けば輪郭が見えてくる。書いて書いて書きまくれば『世界観』が構築される。書けんかったら休んでも良しって所がまたフミコさんぽかった。
私にとってのこの『書き捨て』はたぶんEvernoteにあたる。思い付いたことをスマホで書きなぐり放置している。まあ、削除はしてないから、少し違うかもしれないが、読み返すことはない。「ゴムベース」というオリジナルスポーツのルール、「ドレスコードがヒートテックのパーティー」というコント台本。
事細かに書いてあるが、世に出せるレベルのものではない。
しかし、いずれも書いたこと自体や内容も少し覚えている。
つまり、フミコ氏のいう『書き捨て』とは、考えたことや経験したことをいったん自分の言葉に変換することによって初めて血肉になるということなんだ。
刺さった言葉が私を初心に帰(き)す
冒頭、自分がブレイクしない、突き抜けない、世間に求められていないと嘆いたが、著者の次の言葉が心に刺さった。
『究極の自己満足』で良い、『自分が書きたいものを書く』べし。
書くことの『初期衝動』や『情熱』とも表現されていた。
私だって初めは、自分が楽しいからやってたHPやブログ。いつしか、読む人のことを意識し過ぎていた。Googleアドセンスに寄り添っていた(金)。
私は何を勘違いしていたのか、私は私のために文章を書いてこそ私の世界なんだ。
フミコフミオ先生、初心に帰れました。ありがとうございます。
それでは最後にお読みください。私の『世界観』が割りと上手く表現できた文章「大阪でぼったくりガールズバーに行った話。」です。どうぞ。
(2022.1.3)