吉田ジョージの吉田屋帝国

個人事業主・気象予報士・ミニマリスト・整理収納アドバイザー・オフィスキイワード所属タレント 吉田ジョージの公式ブログ。ありがた迷惑な吉田の仕事情報や【人】【物】【所】【文】【俺】にこだわったエンターテイメント・コンテンツ盛りだくさん。

私の仕事

気象予報士、お天気キャスター。ここを軸に今の自分があるが、気象予報士合格は33歳の頃。いうても20年前か。

講演、お天気実験ショー、出版、学習塾や文化センターの講師、お天気漫談など。

司会(番組・イベント・ブライダル)、リポーター、スポーツ実況などは大学1年生から。

ライター、物書き。関西大学文学部国文学科に入り、純文学サークル立ち上げて小説書いてた。共著での出版やWeb連載、放送作家などやってきた。

芸人。元々高校時代からの夢だった。大学1年生の頃、高校友人とコンビを組んで当時の渡辺プロダクションのオーディションを受けた。ネタは私が書いた。3次オーディションまで通ったが、コンビで受けたのに相方だけ最終合格、私だけが落とされた。相方に促されて無理やり合格者顔合わせ会に参加したが、合格者に現ネプチューンの名倉さんがいたのははっきり覚えてる(覚えやすい顔だし)。ただ、やはり自分だけ落とされて腐り、お笑いを諦めて、アナウンサーへの道を選んだ。

追記:顔合わせに出たところ、ナベプロの大人たちも許容してくれた。一度、ナベプロのお笑いライブのお手伝いに行った。当時は中山秀征さんと松野大介さんのABブラザーズと恵俊彰さんと石塚英彦さんのホンジャマカが大人気でした。観客に女優の深津絵里さんがいて、「東京すげー!」と思いました。ライブ後に石塚さんからお金を頂き、「缶ジュース買えるだけ買ってきて~」と言われ、Tシャツの裾に缶ジュースをたくさん抱えたのも良き思い出。約30年後、東海テレビ「スタイル+」で台風情報させて頂いた時のCM中、ゲストの石塚さんにその頃の話したら、笑顔で「あの時、ありがとね~!」「石塚さん、絶対覚えてないでしょ!」と言葉を交わし感無量でした。

相方はしばらくレッスンに通い、ホリケンさんと仲良かったみたい。一度だけテレビで見たことある。小心者バスツアーという番組でブリーフ1枚で箱に入れられて、一般人の披露宴会場で箱を開けられるというシーンだった。懐かしい。その後、実家に帰り、家業を継いだようなので、ある意味、彼の人生を変えてしまったのかも。演技者として天才的だったので、役者として成功して欲しかったな。(2023.11.9)

33歳、気象予報士に受かったが仕事がなかったので「気象予報士のお天気漫談」で第2回R-1ぐらんぷり(当時ひらがな)への挑戦を始め、初戦突破は7回かな。お笑い尼崎大賞では賞もろた。大阪のインディーズライブもたくさん出てた。今年はリサジョというコンビも組みましたで。

なので、私、色んなことを無作為に手広くやってると思われがちだが、ずっと同じことをこつこつやり続けてる努力家なんよ。ありがたくもお天気で日が当たっただけなんよ(天気だけにな)。全部ずっとやり続けてるんよ。

まあ、お天気が軸よ。そこは譲らんよ。(2023.11.9)

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